生きているうちにひとつの祖国を! 統一願い、川崎・桜本で在日コリアン高齢者がコンサート

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●戦争と差別を生き抜いた在日高齢者の願い

 在日コリアンが多く住む川崎市・桜本で、5月8日(火)、南北首脳会談の成功を祝い、朝鮮半島の統一を願うコンサートが開かれた。

歌と踊りを披露したのは、在日コリアン高齢者クラブ「トラヂの会」の皆さん50人余り。トラジの会は毎週火曜日に開催、60歳から最高齢94歳までのハルモニ(おばあさん)が桜本保育園に集い、歌や踊り、会食などをして過ごす。

 ハルモニたちは、戦前・戦中、当時日本の植民地だった朝鮮から渡ってきた一世と、日本で生まれた二世だ。一世は80~90代、二世は70代以下とみればいいだろう。このほか、80年代以後韓国や南米から来日したニューカマーの高齢者もいる。

差別と戦争の時代を生き抜いてきたハルモニたちは、2015年夏、桜本から「戦争反対!」を訴えようと、地元商店街でデモ行進を行った。今回のコンサートは、4月27日の板門店宣言を受けて、統一と平和への願いを発信しようと、急遽開催を決定したのだという。

 

 歌に入る前にウォーミングアップ。司会者の女性Aさんの「ハナ、トゥル、セッ!」という掛け声の後、みんなで「ハ、ハ、ハ」と大声で笑う。

 毎週Aさんはトラヂの会でハルモニたちと一緒に歌い、チャンゴも演奏する。歌もかなり上手だ。

では、統一への思いを込めた朝鮮の歌6曲を紹介しよう。イムジン河以外はすべて朝鮮語で歌われた。

 

○トラヂ、アリラン

 トラヂの会の愛唱歌。トラヂとは桔梗を表す言葉で、朝鮮では桔梗の根を食用にするのだという。桔梗の根を山の中に摘みにいったときの様子を描いている。そして、日本人にもなじみの深い「アリラン」。

ここで94歳のハルモニが前に出てきた。なんと、チャンゴを演奏するのだという。オモニは穏やかな笑みを浮かべて、チャンゴを叩く。すごいな、94歳か。70代後半ぐらいにしか見えないのに。チャンゴの音と歌声が響く。

歌い終わるとAさんが一言、「チャンゴが寿命を延ばします!」。

 

○他郷暮らし

 ふるさとを離れた場所で暮らす寂しさを歌った歌。

Aさんが語る。「私は若い頃、この曲を辛気臭くて嫌だと思っていました。でも、トラヂの会に来るようになって、この歌を聴くと自然と涙が出てくるようになりました。皆さんにとってどれだけ大切なものかわかってきました」

 歌詞を日本語に訳すとこんなふうになる。

 

   他郷暮らし 幾年か 指折り 数えてみると

   故郷を離れ 十余年 青春だけが 老いていく

   

   浮き草のような 身の上 ひとりで 息がつまり

   窓をあけて ながめると 空はむこうに

 

   故郷の家の柳の木 今年の春も青く繁っただろう

   草笛をおって ならしてみた それは もう 昔

 

歌いながら涙ぐむハルモニがいた。

「母がよくこの歌を口ずさんでいたの。それを思い出したら、涙が出てきちゃって……。それにしても、よくこんな歌をこしらえたな。お母さん、つらかったんだね……」

 

釜山港へ帰れ

 ご存知チョー・ヨンピルの代表曲。4月11日、南の歌手がピョンヤンでコンサートを開いたが、そのときに彼が歌ったのがこの歌だった。

日本で知られている歌詞は男女の恋愛を描いたものだが、原曲は南北に離散した家族やきょうだいを慕う内容なのだという。1番では「かえっておいで 釜山港に 恋しい 私のきょうだいよ」と会えないつらさを訴え、2番では「帰ってきたよ 釜山港に 恋しい 私のきょうだいよ」と再会を喜ぶ。日本語の歌にはないハッピーエンドに、ハルモニたちもうれしそうだ。それまでの曲はどちらかというとさびしそうな調べであったが、この曲になると力強い元気な声が響いた。

 

イムジン河

 こちらも日本で有名な曲で、北から見た分断の悲しさを描いている。トラヂの会のスタッフ、遠原輝さんがギターを弾きながら歌った。子どもの頃、お父さんがよく歌っていたのだという。

 

○らぐよ…(だってさ)

 韓国人歌手、カン・サネさんによる南北の統一を願う曲。統一を待ち望む父や母のことを、息子の目から描いている。カン・サネさんの親は、1950年に起こった朝鮮戦争(ユギオ)のとき、北から南へ逃げてきたのだそうだ。歌では、父や母が自分の十八番の歌を歌いながら、こんなふうにつぶやく。「死ぬ前に一度だけでもいいからいけたらいいのになあ」。

 カン・サネさんのことは、このとき初めて知った。後で調べてみたら日本でもけっこうファンが多いことがわかった。

 

○故郷の春

 これもトラヂの会の愛唱歌。ふるさとに咲く花々、鳥のさえずり、野原を思い出しながら、子どもの頃を懐かしむ内容である。

「私たち在日朝鮮人は複雑ですよね。北、南が故郷の人もいれば、日本で生まれて川崎が故郷という人もいる。でも、やはり故郷といえば朝鮮。今、故郷はまさに春を迎えようとしています。会いたい人に会える。それが春です」とAさん。

 この歌にはふりつけがある。みな椅子に座り、腕を伸ばしたり、上に上げたりしながら、本当に楽しそうだった。

 

  • 音信不通になった人と会いたい

 歌に加え、2人のハルモニが統一への思いをスピーチした。

 

 1人はFさん。北へお兄さんが渡り、何年も音信普通になっている。

「お母さんは兄のことを心配して、ご飯を食べるときは必ず兄の名前を呼んで、『白いご飯だよ、食べなさい』と言っていました。向こうでは白いご飯なんて食べられないだろうから」

 Fさんは朝鮮語を混じえながら、泣きながら訴えた。お母さんは伝を頼って息子さんの行方を捜し続けたが消息はわからず、失意のまま亡くなられたという。

 スピーチを終えると、Fさんはマイクを持ち、「お母さんの思い出」という歌を歌った。

 

 2人目はCさん。家族ぐるみで付き合っていて、川崎へ来たときに助けてもらった恩人が北へ渡ったまま、連絡が取れないのだという。

「その人は北朝鮮のほうが日本より生活が楽と聞いて、帰ることを決めました。夫が新潟まで見送りにいきましたが、それ以来連絡はありません。会いたいです。北朝鮮へ行きたいです。早く平和な日が来てほしいです」

 

 在日朝鮮人の多くは南(韓国)の出身であるが、日本での差別、貧困に耐えかねて、1959年から始まった帰国事業により北へ渡った人は多い。

 北へ渡った家族と何十年も音信普通になっている人たちがいる。そのことは、本やネットで得た知識で知っていたが、日本人である自分にとって身近ではなかったし、やはり別な国の出来事であったのだと思う。しかし、目の前で、さっきまで楽しそうに歌っていたハルモニが涙を浮かべて、大切な人と会えない辛さを訴えている。分断は本に書かれているだけの出来事ではない。分断は紛れも現実の世界で起こったことなのだ。

 

会いたい人に会う。それが叶わないのが分断。長く長く続いた分断。

 私は在日コリアンの友人と分断について話したことはない。でも、友人もその家族も、皆さん同じ悲しみを抱えて生きてきたのだろう。

 

○私たちの願い

 最後は一日も早い統一と平和を願った「私たちの願い」。トンイル(統一)、ピンファ(平和)という言葉が繰り返されるところが印象的だった。

 

 予定していたメニューは終わったが、まだ歌い足りないと思った1人のハルモニが前へ出てきて、マイクを握り歌いだした。歌に合わせて数人が立ちあがり、踊りだす。歌うハルモニの朗々とした声に聞きほれてしまう。踊るハルモ二たちも満面の笑みを浮かべている。泣いて悲しみを訴えても、最後は笑顔で、というのがコリアンスタイルなのかも。

私もつられて体が動いてしまう。楽しそうなのに、こんなに楽しそうなのに、なぜか涙で目の前が霞む。以前読んだハルモニの手記がよみがえる。

─ずっと苦労ばかりしてきた。「朝鮮人」とさげすまれ、貧しい中男性と同じように働きながら家族を支えてきた。まだ小さい子どもが日本人からいじめられているのを、黙って見ているしかなかった。生きるためには何でもやった─

 

 ギャラリーのハルモニたちは、歌に合わせて手拍子。朝鮮語で雑談をしている人たちもいる。奥の厨房では、食事の用意が進んでいる。テーブルの上にはキムチ。みんなで漬けたのだという。

 

  • 統一を願うことは平和を願うこと

 Aさんは語りかける。

「今まで苦労してきた皆さん、私は、体がきかなくなっても大事にされて、子どもたちが夢を見られるような社会にしたいと思っています。南北に徴兵制があります。でも、統一されて平和になれば軍隊へ行かなくて済みますよね」

最後に歌われた「私たちの願い」で、統一と平和という言葉が繰り返し出てきた。Aさんの語りではっきりわかった。統一を願うことは平和を願うことなのだと。

 ホワイトボードには大きな模造紙。朝鮮半島とハルモニたちのたくさんの寄せ書き、そして「生きているうちにひとつの祖国を」という大きな文字。

「皆さん高齢だし、本当に切羽詰っています。生きているうちに、統一を、平和の道を歩んでいけますように、みんなで寄せ書きしました」

 小さい頃日本に渡ってきて、戦争の影響や貧しさにより学校に通えず、読み書きができないまま大人にならざるを得なかった1世の寄せ書きもある。高齢になってから識字学級で文字を覚えたのだという。

 

「ちょうせんがへいわでありますように」

 

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 ハルモニたちの願いが一日も早く叶いますように。会いたい人に会えますように。今の日本政府に積極的な協力を求めるのは無理だとわかってはいるが、それでもできることをしてほしいと思う

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