沖縄ヘイトデマ番組「ニュース女子」問題。 東京MXテレビが辛淑玉さんに謝罪。 辛さんはDHCテレビと長谷川幸洋氏を提訴へ。

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東京MXテレビ辛淑玉さんに謝罪


 東京MXテレビが放送した情報番組「ニュース女子」で名誉を傷つけられたと抗議していた、人権団体「のりこえねっと」の共同代表・辛淑玉さんが東京都内で記者会見し、2017年7月20日、伊達寛社長が辛さんに謝罪したことを明らかにしました。

 問題の番組は2017年1月2日放送されたもので、化粧品大手DHCの子会社DHCテレビジョンが制作。沖縄県東村高江の米軍ヘリパッド建設に対する抗議行動を取り上げています。抗議行動に参加する人たちを「テロリストみたい」、「日当5万円をもらっている」などと評したうえ、資金を供与している黒幕的存在として辛さんの名前と在日朝鮮人であることを挙げ、辛さんの名誉を著しく傷つけました。
 もちろん、番組に対しては、放送直後から批判が寄せられました。しかし、1週間後の9日、東京MXテレビは「何も問題ない」と出演者に語らせ、何の対応もしませんでした。
 この放送がきっかけとなり、辛さんのところに嫌がらせが相次ぎ、ドイツに亡命せざるを得なくなったことは、多くのメディアで報道されました。ご存知の方も多いでしょう。20日、辛さんはドイツから来日して、会見に臨みました。

 

・「ニュース女子」の問題点について。沖縄への放送をあおる市民有志
https://nonewsjoshi.jimdofree.com/

・放送後、BPOに申し立て。放送倫理検証委員会では放送内容に問題ありとみなし、2月1日審議入り決定。12月14日「重大な放送倫理違反があった」とし、意見書を公表した。
https://www.bpo.gr.jp/?p=9335&meta_key=2017

・辛さん個人の人権侵害については、2018年3月8日放送人権委員会は「名誉棄損の人権侵害が成立する」との判断を下し、東京MXテレビに対して勧告を行った。
https://www.bpo.gr.jp/?page_id=1129&meta_key=2017

 

東京MXテレビの謝罪文>
2017年1月2日及び1月9日放送の「ニュース女子」における辛淑玉様に 関する放送について、2018年3月8日付け放送倫理・番組向上機構・放送と人権等権利に関する委員会の当社に対する勧告において、同放送は、辛淑玉様が 過激で犯罪行為を繰り返す基地反対運動を職業的に行う人物でその黒幕である、過激で犯罪行為を繰り返す基地反対運動の参加者に5万円の日当を出しているとの事実を摘示するものであり、その内容は真実性に欠け、辛淑玉様の名誉を毀損するものであると判断され、また、辛淑玉様の国籍・民族を明示して、過激で犯罪行為を繰り返すものと描かれた沖縄県の基地反対運動と結びつけて論じたことは、人種や民族を取り扱う際に必要な配慮を欠いたものであったと言わざるを得ないとの指摘を受けました。当社は、上記のとおり名誉毀損と判断された事実摘示や人種・民族に関する配慮を欠いた表現を含む当番組を放送したことについて真摯に反省し、社内で策定しました再発防止策を推進するとともに、当番組の放送によって辛淑玉様 を深く傷付けたことを深く反省し、お詫びいたします。
7月20日

東京メトロポリタンテレビジョン
代表取締役会長 後藤 亘
代表取締役社長 伊達 寛
https://s.mxtv.jp/company/press/pdf/press2018_370001.pdf

 

●不十分な謝罪内容

 今回の謝罪は辛さん個人に対してのみ行われました。沖縄や抗議活動に従事する人たちを虚偽事実で貶めたことに対してはなされていません。

 辛さん側も、これでは不十分と評価しています。謝罪に当たり、辛さん側は「のりこえねっとで制作した番組を東京MXテレビで流すこと。それが無理であれば、この番組について検証する番組をつくってほしい」と要求しました。しかし、いずれも拒否されたそうです。

  肝心の謝罪の内容についても、満足のいくものではありませんでした。たしかに、辛さんが日当の5万円を出していたことはデマと認めました。しかし、「黒幕的存在」として辛さんの国籍・民族名を出して、抗議活動(テロリストみたい)を結び付けたことの差別性について、まったく触れていません。

 辛さんの代理人は次のように語ります。

 

 金竜介弁護士
「番組では辛さんのことを韓国人と紹介しました。たしかに、それは事実です。しかし、抗議行動を批判していて、その黒幕とされているところで、出自を出す必要があるのか。では、ゲイや被差別部落出身者であれば、それをわざわざ出すのか。出自を出したことについて何も応えていません」

 

 神原元弁護士
「東京MX側は『人種人や民族を取り扱う際に必要な配慮を欠いた~』としていますが、まったく違います。この番組では、人種・民族差別を扇動しました。2016年反ヘイトスピーチ法が成立しましたが、その後につくられた番組です。これがヘイトスピーチであることの認識がなかったわけです」

 ちなみに、神原弁護士は今回辛さんがターゲットになったのは、「民族的マイノリティであることに加え、女性だから。つまり複合差別」と指摘します。

 今回は、謝罪の内容は不十分なものの「東京MXテレビ側が謝罪をしたいというので受け入れた」と、というのが実情なのです。

 

DHCテレビ長谷川幸洋氏を提訴

 辛さんは「私だけが謝罪を受けることに、ものすごい葛藤があった」と語ります。しかも、その内容は不十分です。それなのに、なぜ謝罪を受け入れたのか?  それは「映像は世界中に拡散されている。この状況を何年も放置できないと思いました。本丸はDHCテレビ。何らかの悪意をもってやったこと。ここでMXが詫びを入れてくれたのだから、次の闘いに移ります」(辛さん)

 DHCテレビでは問題の番組をインターネット上でをまだ流しつづけています。ネットで検索すると、それほど苦労なく探し当てることができ、閲覧もできます。東京MXテレビが人権侵害と認めた内容、デマを堂々と拡散しているのです。
 DHC会長の手記を読むと、BPOの勧告に対して、「委員のほとんどが反日、左翼という極端に偏った組織に『善悪・正邪』の判断などできるでしょうか」と反省するどころか開き直り、ヘイト臭に満ちた自論を展開しています。
https://ironna.jp/article/9559?p=1

 こんな状況を打開するために、辛さん自身が原告となり、DHCテレビと同番組で司会を務めていた長谷川幸洋氏に対して、損害賠償と問題の番組の差し止めを求めて提訴する意向を明らかにしました。

 

辛淑玉さん 記者会見全文

 記者会見中、辛さんは、沈痛な面持ちで、淡々としつつも時には涙で言葉を詰まらせながら、時には高ぶりそうな感情を押し殺そうとしながら、この番組がいかに差別的でマイノリティを傷つける内容かを語りました。その言葉は、そのまま私に突き刺さりました。それは、日本は「日本には日本人しかいない」と信じて疑わない人たちによってつくられていることを、痛いほど感じさせる内容でした。
 この会見の発言は、番組への批判を超えて、マイノリティを周辺へと追いやって抑圧し、見て見ぬふりをしてきた日本社会への鋭い批判となっています。辛さんはドイツへ逃げなければ、身の安全を確保できなかった。それほどの危険性を感じました。日本社会は、モノを言うマイノリティの女性をターゲットにしていじめにいじめ抜き、ついには追い出してしまう。この訴えに、日本人は耳を傾ける必要があります。

 

 私はこの裁判を、DHCテレビとの裁判を支援しようと決めました。それがせめてもの、日本人として私のできることだと思っています。

 

注:メモ書きであるため、必ずしも正しい文章ではありませんが、趣旨は変えておりません。読みやすいように、見出しや言葉を補足しました。

 

●放送事故ではない、事件。抵抗できない者にレッテルを貼ってつるし上げる

 今日この日を迎えるにあたって、MXテレビ前での抗議活動に参加された人にお礼申し上げます。暑い日も寒い日も、抗議活動を行ってくれた人たちがいました。みんなの闘いがなかったら、ここにたどり着けていませんでした。一緒に闘ってくれて、どうもありがとう。

 これは放送事故ではない、事件です。私の出自(朝鮮ルーツ)を使ってデマを流して、運動を叩きました。1つのシンボルを使ってマイノリティを叩く。その先にあるのはジェノサイド(大虐殺)です。かつてのドイツではユダヤ人は虱。それと同じように、朝鮮人はゴキブリ。ウチナンチュは土人、そして基地の外と書いて「きちがい」。抵抗できない者にレッテルを貼ってつるし上げる。それがどんなに怖いことか。しかし、東京MXテレビを含めて、まだそれを理解していないと思っています。

 私は東京MXの謝罪を受けましたが、受けるにあたってものごい葛藤がありました。言葉にならないほどの葛藤がありました。自分だけ謝罪を受けるのは、卑怯なのではないか。受け入れるのは厳しいものがありました。
 戦後補償裁判において、在日は様々な補償から外されました。長い間在日に抑圧を強いる日本人の背中を見てきた者として、つらい思いをしました。
 しかし、今度は自分がそれを実行する、自分だけが謝罪を受ける立場になりました。沖縄、アイヌ被差別部落、社会にとって障害になる人たちはヘイトの嵐の中にいます。
 反ヘイト法ができたとき、とてもうれしかったです。有田議員をはじめたくさんの人たちが尽力してくれました。でも、本邦外出身ということで沖縄は外されました。自分が一緒にいたい人たちが反ヘイト法から外されるのは、受け入れられませんでした。
 そのうえで、今回の謝罪を受けようと思いました。私は1年7か月かかって、東京MXから謝罪を受けました。しかし、DHCテレビの映像は世界中に拡散されています。この状況を何年も放置できないと思いました。だから、謝罪を受けました。

 すみません……すみません……
 沖縄の友達の顔が浮かびます……

 

●DHCとの裁判は、ジェノサイドに流れゆく社会との闘い

 本丸はDHCです。今回の件は、DHCが何らかの悪意をもってやったことです。これ以上、裁判への持ち込みを長引かせるのはよくないと思いました。MXの態度が中途半端なら、敵は2つになります、しかし、MXに詫びを入れてもらったのだから、次の闘いに移ります。

 今は、沖縄の友達を半分の足で踏みつけている状態です。だから、裁判は絶対負けるわけにはいきません。

 司会者の長谷川さんを訴えたい思いが強いです。
 私は東京新聞が大好きでした。弱者に寄り添うメディアだと思っていました。論説主幹の深田実さんが今回の件に関して「深く反省する」と書いていましたがしかし、長谷川さんは円満に定年退職されました。デマを流した人を処分もせず、そのまま退職させたのです。これには深く失望しました。

 マイノリティを傷つけてメシの種にするな!

 東京新聞の論説主幹が処分しないのであれば、私がやろうと思いました。

 私は原告になりうるポジションにいます。残念ながら、今回の件で沖縄は原告になるのは難しい。

 これはデマとの闘い、ヘイトとの闘い、ジェノサイトに流れゆく社会との闘いです。

 私の後輩たちは、私よりきつい状況の中、ボロボロになりながらも闘っています。家族や生活を脅かされながら、声を上げている後輩がいます。その後輩たちに恥ずかしくない先輩になりたい。

 今回の放送によって、私は仕事やあらゆるものを失くしました。
 
 朝鮮人をネタにしてメシを食わんでくれ!
 ヘイトでお金儲けをしないでください!

 その思いで長谷川さんを訴えました。

 深田さんがジャーナリストであるなら、私の行動に応えるべきです。
 自分たちの問題として考えていないから、そんなことができるのです。
 沖縄の問題は日本人の問題です。
 沖縄2紙を読むとつらいです。
 基地の問題に向かわざるを得ません。
 
 在日の歴史を振り返れば、戦争反対になります。それを忘れて、差別する。許せない。

 私を助けてください。 支えてください。

 よろしくお願いいたします。

 

●私が私であることを否定されないために。抵抗としての国籍

 番組の放送後、生活圏の中に嫌がらせがどんどん入ってきました。そこで、どこに身を置こうか考えました。韓国は選択肢の中にありませんでした。

 ドイツへ行って考えました。私は朝鮮人です。日本語の「チョーセンジン」には差別の言霊があります、その言葉が私を打ちます。
 在日には朝鮮人としての実態、文化も背景もありません。しかし、その中で民族名と国籍、被差別体験は在日としてのアイデンティティなのです。
 ドイツに行ってわかったこと。
 文化的に私は日本人だということです。私が韓国籍を維持する理由は、それが抵抗としての国籍だからです。
 私は私である。背が高い、胃腸が弱い、すべてが私です。日本で生まれた朝鮮人韓国籍。何一つとして、否定的なものとして扱われたくない。

 愛国心、そんなものはありません。
 私は私である。
 私の国籍は、私は私であることと、それを否定されないために、抵抗の印として持ち続けるものです。
 
 この後、ドイツに戻ります。どこで生活するかは決めていません。死ぬべきところが日本かも決めていません。

 

15歳に戻った“修行の天才”~オウム・井上嘉浩元死刑囚~控訴審被告人質問から

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 2018年7月6日(金)オウム真理教教祖麻原彰晃こと松本智津夫と元教団幹部6人の死刑が執行されました。

 

 元幹部の1人が井上嘉浩君(享年48)です。彼は、地下鉄サリン事件ほか2件のVX襲撃事件、VX殺害事件、公証人役場事務長逮捕監禁致死事件などにかかわりました。一審では死刑が求刑されたものの、16歳のときに入信したことを理由に無期懲役判決を言い渡されました。しかし、二審では一審判決が破棄され、死刑判決に。2010年1月12日に死刑が確定しました。


 私はオウム事件が起こって2年ぐらい経ってから、実行犯たちの裁判を傍聴しはじめました。一連のオウム事件は、私の思考キャパをはるかに凌駕していました。地下鉄や住宅街にサリンを撒くと大量無差別テロ、敵対者を殺害、内部でのリンチのほか、毒ガス、薬物、武器の製造etc。かつて宗教団体でここまでの犯罪を起こしたところはあるでしょうか? しかも、そんな団体に自分と同じか年下の若者たちがたくさん入っていたのです。実行犯たちは私と同年代。おそらく自分とそれほど遠くない場所にいた人たちだと思います。その人たちがなぜ、あちら側に行ってしまったのか。江川紹子さん、佐木隆三さん、毎日新聞記者による傍聴記や、脱会者でつくる「カナリヤの会」の会報をむさぼるように読みました。それでは物足りなくなり、カナリヤの会のメンバーと交流する傍ら、彼らとともに実行犯たちの裁判に足を運びました。なお、交流がきっかけとなり、カナリヤの会のメンバーとともに「オウムをやめた私たち」(岩波書店)を制作しました。

 

 あれから15年以上が経ち、私の関心はオウムから別のテーマに移りました。でも、やはり心の奥底では気になっていて、たまに滝本太郎弁護士のブログをのぞいたり、やや日刊カルト新聞をチェックしたりしていました。
 そして、今回の処刑のニュースです。

 朝のワイドショーを見ていたとき、一報が入ったと記憶しています。

 一瞬、何が起こっているのかわかりませんでした。それから、おそらくテレビはオウム一色になったのでしょう。私は人と会う用事があったので、考える時間はありませんでした。

 夕方自宅に戻って、再びテレビや新聞、インターネットのニュースを読んで、本当に死刑が執行されたことを理解しました。

 それでも、現実感はわきませんでした。呆然とした悲しさというのか。頭が真っ白なまま、ただただ涙腺が刺激されているような状態でした。

 実際に目の前で姿を見て、肉声を聞いて、泣いている姿を見た、数時間同じ空間にいた人たちが、もうこの世にはいないのです。彼らと面会したり、支援した人たちと私は面識があり、「死刑は麻原一人。弟子は被害者。絶対死刑にしてはいけない」と署名活動を展開していたことを知っていました。「ああ、みんな悲しんでいるだろうな」。彼らの死をリアルに受け止められなかった代わりに、支援に当たっていた人たちが泣いている姿を想像して胸が詰まりました。
 その一方で、メディアやネットでは次から次へとニュースが流れてきます。自慢ではありませんが、私はけっこう疲れていても、とりあえずの情報を頭に入れておくことはできるタイプと思っていました。でも、今回ばかりは、活字に対して拒否感を覚えました。体が受け付けないのですね。簡単な、事実を伝えるニュースなら大丈夫なのですが、いわゆる「麻原が死刑になったが、オウムについて何一つ解明されていない」と、これまでオウムになんてまったく興味を持たなかったし、この先も持たないであろう三流知識人の評論なんて、まったく読む気になりませんでした。とにかく、評論のたぐいは一切読めないし、目を通すと反発ばかりしていました。

 

 そんな中、井上嘉浩君の被告人質問時のメモが出てきました。これは意外でした。傍聴していたことは覚えていたものの、どんな様子だったのか記憶はあいまいだったからです。ここまで詳細なメモを残していたことにも驚きました。


 このときの井上君は33歳でしたが、20代ぐらいに見えました。でも、若さは感じられず、疲労感をにじませていたように思えます。
 一審では検察側の切り札として、教祖はじめたくさんの被告人たちの公判に出廷し、オウムの非合法活動について証言してきた井上君。ここで、かなり無理をしていたのでしょうね。無理もありません。オウムの誤りに気付き、自身の犯罪や知っていることについて証言はしたものの、それはどこか優等生的で上滑りしていました。
 そんな井上君に対して、オウムと闘いながら脱会者を支援してきた滝本太郎弁護士、オウム真理教家族の会の代表・永岡弘行さんが面会。2人とも、かつて井上君が殺害を企てた「敵」でした。さらに、カルト問題に詳しい浅見定雄東北学院大学名誉教授も井上君の悩みを聞いたり、疑問に答えるなどして、面会を重ねました、私が傍聴したのは、まさにそのさなかだったのでしょう。
 前述した滝本弁護士は井上君の控訴審(2003年10月10日)で弁護側証人として出廷したとき、彼についてこんなふうに証言しています。

「脱会は確実にしている。現実感覚も戻ってきている。でも、独居房にずっといる。まだ、ポストマインドコントロールシンドロームにある。今後、不安定になるだろう。恐怖感も出てくるだろう。スッキリするには何年もかかるだろうなあ。まだ、麻原を乗り越えていない。素は15歳。まだまだ元の年齢には戻っていない。カルトに入信した場合、20歳で入信して5年経ってやめたとき、25歳になるのではなく15歳になる」
 そのうえで、死刑は反対として、次のように訴えました。
「今後も井上とは交流していく。それがオウムをつぶす力となる。ある中堅幹部の場合、現役信者に手紙を出したり、面会したりしてオウムの実態を伝えたことで、たくさんの人間がやめた。彼にはそれをやらせたい。それが責任を果たす1つの方法である」
 この証言を井上君は泣きながら聞いていました。

 その少年は48歳で生命を絶たれました。
 最後まで、自分のなした罪と向き合い、なぜ自分が麻原に従ってしまったのか、一連の事件について考察し、メディアの取材を受けるなどして、自分の知りうる限りのことを発信していました。それが彼の贖罪でした。本当にずっとずっと考えていたんだ。つらかっただろうなあ。だけど、それを受け止めてくれる人たちがいたからこそ、彼も一生懸命伝えようとしたのでしょう。

アレフに関しての分析。自作の詩。ずっと支援していた僧侶・平野喜之氏が発行する機関誌に掲載
https://drive.google.com/file/d/1cGVovKzBqoMel6-1l4EVGf91ESBUkKlv/view


 15歳に戻るまでにも、たくさんの人の支援がありました。ご両親、オウムと闘ってきた弁護士、カルト問題の専門家、オウム真理教に子どもが出家してしまった親御さんの会の代表などなど。実に多くの人の力で、オウム入信前の15歳に戻り、そこから成長していった。

 ここにある被告人質問のやりとりは、自分がどんなふうに変わったのか、彼が自身を振り返っての実感です。長いやり取りですが、弁護側主尋問だけでも読んでいただけると、彼が自分自身の変化をどうとらえているのか、わかると思います。
 人が魂を呪縛されて、そこから解放されるまでに、深い苦悩を味わいます。でも、多数の人の愛があれば、どうにか抜けることができるし、愛を与える側にもなる。それを伝えたいと思いました。

■2003年11月13日(木) 13:30 東京高裁725法廷

<注意>
・これは正式な裁判記録ではありません。私が手書きでメモした記録なので、語句等必ずしも正確ではありません。
・質問や回答の趣旨を損なわない範囲で加筆訂正するとともに、読みやすいように見出しをつけました。
・記録から15年近くが経過しているため、読み返していて意味の通らないところ、不明なところはすべて削除しました。

 

【弁護側主尋問】

 

●一審では検察官によく思われようとしていた

・事実関係について、あなたは原審(一審)で数多く証言をしてきました。主には49回公判になるが、それに付け加えることはありますか?
→ありません。
・最終陳述で「検察官にこびた」と証言していますね。
→はい。
・事実をまげて証言したということですか?
→それはありません。
・「問われるままに無理に答えた」というのはどういうことですか?
→検察官によく思われようと考えたということです。
・具体的には?
→例えばTさんの法廷で、Tさんが(戒律で禁止されているのに)ビールを飲んだという証言です。
・それは事実なのですか?
→はい。でも、そのあと、心情的には事件に直接関係ないことを答えることが必要なのかと考えました。

 

拘置所での生活に変化。宗教へ逃げていたことに気づいた

・一審の時の被告人質問1999年秋と今回の2003年秋と。拘置所での生活に変化はありますか?
→あります。
・一審の時はどんな生活でしたか?
→被害者の方を思う瞑想をしたり、宗教関係の本を読んでいました。一つには被害者の供養のため。もう一つには、麻原を乗り越えたいと思いのため。
・現在は瞑想をしていますか?
→していません。
→浅見先生(*)の2回目の証言がきっかけでした。自分がずれている事に気付いたのです。宗教から離れるのは苦しい。逃げていた、と考えました。でも、今、これに関わりのあるものはしていません。

浅見定雄東北学院大学名誉教授。専門は神学だが、長年カルト問題に携わり、井上元死刑囚と何度も面会。弁護側証人としても出廷した。

 

・宗教書はどんなものを読んでいましたか?
→禅に関するもの。麻原を乗り越えたいという思いと、自分の心の安定のために読みました。
・現在は?
→読んでいません。浅見先生の2回目の証言がきっかけで読まなくなりました。そういう本を読んでいたら、被害者の痛みはわからないと。自分は逃げていると思いました。
・つまり一時、本を読まなくなったと?
→一審の弁論からしばらくたったころです。
・再び読み始めたのは?
→新聞の広告がきっかけでした。「人間として、どうあるべきか」と書かれていました。「太公望」という本でした。宮城谷さんの書かれたもの。

 

・今、一日の大半は何をして過ごしていますか?
→読書です。
・被害者のことを考えることは?
→あります。日常の中や読書をしている時。本を読んでいてぐっとくるのです。例えば、池波正太郎大石内蔵助の話。おばあちゃんが亡くなる場面です。被害者の方が亡くなる場面と重なり、苦しくなった。涙をながすこともあるし、本を閉じることもあります。

 

・あなたのお母さんが証言されましたが、あなたは9.11(米国同時多発テロ)について考えたそうですね。
→事件のことは新聞で知りました。ビルが倒れる場面。逃げだそうとする人々。どれほどの苦痛かと思った。あと、遺族の人々の言葉。「会社に行っただけでなぜこんな目に遭わなければならないのか」という言葉。
・ハルマゲドンとテロがダブった?
→ダブりました。
・被害者のことは、どれくらいの頻度で思い出しますか?
→数えていません。毎日ではありません。3日に2回くらいでしょうか。昨日も松任谷由実の歌を聴いていて、無性に悲しくなりました。亡くなった人はもう歌も聴けないんだなと。

 

・今よく寝られますか?
→今、寝られる時もあるし、寝られない時もあります。
・一審の時は寝られましたか?
→よく寝られましたが、遺族の方の証言が続いた後から寝られなくなりました。今は、そのころに比べれば少し寝られるようになりました。本を読んで主人公の生きざまと自分とを比べ、何をやっていたのだろうと、やりきれない気持ちになります。それが頭を回ります。

 

・夢は見ますか?
→はい。多いのは麻原の夢。
・一審の66回公判で、麻原に追われて逃げる夢を見たと証言していますね?
→はい。でも、今は見る頻度は少なくなりました。しかも、内容も麻原から逃げ切れる夢が多くなりました。

 

・食事は食べられますか?
→半分程度しか食べられません。
・体重は変化した?
→一審の被告人質問の頃は、51~53キロ。直近の体重は、47~48キロ。
・食が細くなったのはなぜ?
→わかりません。
・食べる食品は何か変わりましたか?
→コーヒーやおかしを食べるようになりました。
・一審の時は食べなかった?
→一審の頃は、修行者として禁欲しなければと思い、食べなかった。でも、被害者の証言や浅見先生の証言を聞いて考えが変わりました。
・コーヒーやお菓子はおいしいですか?
→おいしいと感じました。

 

・お父さんの証言では、あなたは週刊誌を読むようになったそうですね。
→浅見先生と会ってから読むようになりました。一審の当時は、週刊誌は人を堕落させるものだと考えていました。
・どんな変化だと自分で思いますか?
→自分は世間知らずだったと思うようになりました。オウムに入る前の、中学生の頃の感覚が戻ってきました。
・週刊誌の記事では何が面白かった?
田中真紀子さんの発言や、官僚の税金の無駄使いなど。
・新聞は自費で読んでいるのですか?
→はい。一審の時はオウムの判決の記事を読んでいました。でも、今はスポーツ欄を読むようになりました。小学校の時、サッカーをやっていたので。
・ラジオは聴きますか?
→一審の時は、殆ど聞いていません。でも、今は聴きます。街の声、寄席。牧伸二が面白い。

 

・自分を変えようと意識した?
→特に意識はしていません。浅見先生とやりとりをしている中で、ラジオを聞いてみようかなと思いました。
・なぜ?
→自分でも分かりません。これをやるべきだ、とかは考えませんでした。
・一審の時に言われた片意地が取れてきた感じですか?
→はい。前の自分は、非常にいびつで偏って、世間知らずでした。

・浅見先生と会うのは楽しみですか?
→はい。会うのはうれしいです。裁判以外のところで、人として接してくださる。色々教えてくださるし、悩みも聞いてくれます。浅見先生から先に今日来た理由を言われる場合と、私から、こんな本を読んでいると話をする場合があります。申し訳ないくらい、人として声をかけてくれます。
・弁護人の接見とは違う?
→はい。

 

・今の読書はどんなものを?
山本周五郎の「ちゃん」。(ひとしきりあらすじを話す)考えるというか、泣きました。感じたというか。言葉になりませんが、皆が支え合って生きている。でも、自分はそういうものをグチャグチャにしました。当時どうしてこういう感覚が分からなかったのか。
・こういう感覚とは?
→宗教とかは関係ない。貧しくとも普通に生活している人の苦しみや喜び。
・オウムの時は、人として悟りを目指す、上を目指す、そういう事ばかりを考えていた?
→はい。なぜ私はこんなことをしたのだろう? (でも、普通の生活とは)当時、自分が嫌っていた裏切りや嘘など、それがあけすけなくある生活です。それでも喜びがあります。

 

・浅見さんから学んだこととは何?
→普通に感じること。かつては、それだけではないと思っていました。
・今、自分に足りないものは?
→社会経験。あくまでも本の中でですが、感じ始めています。
・今回、一審の被告人質問は読み直した? どう感じた?
→自分は素直ではなかった。自分を良く見せようとしていました。ハイ、イイエで答えれば良いのに、自分の言葉で言い直している。他にも、K先生(弁護人)から「社会で生きるということを実感している?」と聞かれたとき、「そう思う」と答えました。でも、それがどれほどのものだったかわからなかったのに。
・でも、そう答えることが当時としては精一杯だった?
→はい。

 

・前々回、浅見さんがあなたが一審で泣き出したと証言をしていたが、どうして泣いたの?
良寛の話で無性に悲しくなりました。修行によって供養しようとしていたが、それが逆に、修行することによって被害者の方が見えなくなっていきました。自分はずれていました。
・一審の69回公判で「泣きたいときに泣けるのは良いよね」と被害者から言われましたね?
→当時、「自分はつきつめられていない、どう言ったらよいか分からない」と言いました。訳が分からなくなっていました。
・自分は一生懸命なのに、なぜ?と
→はい。
・そうした悩んでいる中での浅見さんの証言だった?
→はい。修行は宗教に逃げていることだ、とわかりました。ズレている、とわかりました。
・ズレとは?
→修行することで痛みがわかるのではなく、修行するからこそ、痛みがからなくなる。
・今、あなたの中でズレをどうしようと思いますか?
→普通の人の感覚を学んでいこうと思います。

 

●罪の重さに耐えられなかった。被害者に手紙を書きたいが、書けない。

・あなたは一審のとき、被害者を供養するため自宅に祭壇をつくったそうですね。なぜつくったの?
→罪の重さに耐えられなかった。・・・今は、耐えていこうとしています。
・被害者の調書は読んだ?
→はい。「何時も娘のことを忘れたことはありません」「街で若い女性を見ると娘のことを思い出す」「夫の無念を思うと辛い」など書かれていました。
・被害者に対してどのようなことを考えていますか?
→言葉もありません。被害者の方からは「あなたは演技している」と言われました。良く見せようとしている自分がいました。
・調書には、あなたに求める償いについては書かれていた?
→「償いをどのように考えているか知りたい」と書かれていました。申し訳ないが、どうすればよいか、どうすれば償えるのかわかりません。
・一審の時は償いについてどのように考えていた?
→知っていることを証言する。手記を書いて印税を寄付する、そして瞑想の修行です。しかし、事実を明らかにすることは当たり前だから償いにはならない。手記については、出したいが、とても今は手に付かない。本当は自分のため、自分を楽にするためでした。

・75回公判では「自分は何もできなかった」と言ってますね?
→何もできなかったのです。
・今なお、宗教を離れては何もできない?
→ここに閉じこめられています。

 

・メッセージや被害者の方への手紙、手記は、どうして書かなくなったの?
→被害者の方の話を聞いて書けなくなりました。浅見先生の話はきっかけとなりました。書きたいという思いはありますが、心の底から自分の言葉で書きたいという感じになれません。
・「証言が演説のようだ」と被害者から言われましたね?
→手紙も書き直したい気持ちはあります。自分の中から書けるのだと思えるようになったら。具体的な償いを示したいです。

 

●かつて殺そうとした人たちと面会

滝本太郎弁護士(*)と面会しましたか?
→はい。面会したときは体が震えました。怖かったです。滝本弁護士は自分がVXで命を奪おうとした人。何とも言えないものがありました。

*オウムから敵視されていた滝本太郎弁護士を化学兵器VXを使って殺害しようと企てたが、未遂に終わった。

 

・滝本弁護士と会って楽になりましたか?
→はい。お詫びがしたかったので。
・永岡さん(*)と会った時は?
→泣いてしまいました。たまらなく申し訳なかったが、うれしくもありました。永岡さんにはお詫びしたかった、会いたかったです。

オウム真理教親の会の代表。滝本弁護士同様、VXを使って殺害を企てたが未遂に終わった。

 

●被害者に何もできない。気が狂いそう

・被害者には何をしてよいかわからない、何もできない毎日ですね?
→つらいです。
無期懲役ならば、そんな状態がずっと続きますね。
→気が狂いそうになります。でも、当然の罰、分かり始めています。
・一審の裁判長の説諭、覚えていますか?
→はい。「修行者としてではなく、一人の人間として、悩み、苦しみなさい」と。自分がどういう気持ちを持つとか持たないとかではなく、どうしようもない。

 

【検察側反対尋問】

・弁護側の尋問で一点わからない点があります。一審の最終陳述で、検察官にこびたというくだり。「ビール」について詳しく教えてください
→青山道場の4階を使っていたTさんが、冷蔵庫にビールを隠して、それを飲んでいました。
・大勢の人が君のために尽くしてくれることをどう受け止めていますか?
→申し訳ないです。本来ならば、私のような大罪を犯した人間に・・・

 

・Yが証人出廷したとき、君に好意的な証言をしてくれ、君は涙ぐんでいましたね。
→VX事件(*)で、私が実行できず、彼が実行をすることになりました。そのことで彼が罰を受けることになりました。申し訳ないという気持ちがあります。それでも、彼が私にやさしい気持ちを持っていると、その時思いました。
・Mさんを殺害しようとしたときもうまく実行できず、Yが実行をしました。その後、Hさん、永岡さんに対しても殺害を企てましたね。もし、君がMさんの時、実行をしていたら、Yはやらなかったということですか?
→はい。

*会社員Hさんをスパイとみなして殺害した事件。注射器にVXを詰め、ジョギングを装って被害者に近づいてVXをかけて殺害した。

 

・君は「修行の天才」と言われていましたね。君は信者を説得して出家させ、お布施を集めるのが得意との評価を受けていましたか?
→そのような活動をしていました。お布施については、金額は多かったです。
・どのような工夫をしていた?
→正確ではないが、僕は真剣でした。入信すれば幸せになれる、出家すれば救済になると(涙)本気で勧誘していました。
・君が実績を上げていた訳は?
→(無言)一つは東京本部長の肩書き。もう一つは、ヨーガを熱心にやっていたのがあると思います。
・Yは君のことを「光をあびる立場」と言っていたが意味は?
→裏(*)のワーク(*)ではなく、表(*)のワークに係わっていた。布教活動の前面に立つ役目だったということ。

*「ワーク」は教団内の仕事を指す。「裏」は非合法活動で他の信者には秘密にされた。「表」は合法的な仕事。

 

●自分はかっこつけていた、うぬぼれていた

・Yは君のことを「沢山の人から信頼されていた」と証言していました。聞いてうれしかった?
→たまらなく辛かったです。
・信頼を得ようと努力していた?
→意識して努力したことはありません。…言い直させてください。今から思えば思い当たります。かっこつけていました。自分は何でもできる、言える、修行者としてふるまえる、と。今から思えばですが。
・浅見先生に気付かされた?
→はい。
・かっこつけることを意識していた?
→師(*)になった時、自分のことが怖くなって、先輩に聞いたら、「師は商品だ。救済のためには(たくさんの人の前でかっこつけるのは)仕方ない」と言われた。当時は初めはとまどっていましたが、次第に振り返ることはなくなりました。信頼を得ようとしたことはありませんが。

*教団内のステージ。「師」は中間管理職に相当。

 

・得意だった?
→自分でうぬぼれていました。

・当時、部下と接する際気を付けていたことは?
→指針のようなものは自分の中にはありませでしたが、自然に身についていたかもしれません。信徒さんに気をつかうという中で身につけていったのかもしれないです。
・ヴァジラヤーナに対するものと、部下とのものは違う?
→はい。CHS(諜報省)では、ヴァジラヤーナ(*)の危険なものは自分でやりました。

*ヴァジラヤーナとは、救済のためなら武力行使や犯罪も厭わないというオウム独自の教え。ただし、信者の多くは「これは修行の進んだ人たちしかやれず、とても自分にはそんな資格はない」と思っていた。

 

・なぜ?
→忍びなかったからです。部下が捕まって、知らないふりはできなかった。
・オウムでの対人関係は?
→信徒の頃は、お互い救済活動の仲間。CHS(諜報省)ができてからは、部下が殆どいない状態。麻原は私自身へ直接指令してきました。
・オウムに入る前、中、高の時、対人関係で気を遣っていた?
→特にないです。

 

●「オウム以外の人は哀れ、救われない人々」と思っていた

・オウムの中で外の人たちに対してはどう思っていた? オウムから家族を取り戻そうとする人々に対してはどう思っていた?
→なぜ自分たちのやっていることを分かってくれないのだろう、と思っていました。
・オウムに敵対する人たちに対しては?
宗教法人の認証がとれなかった時、麻原の説法で「そういう障害を打ち破るのがヴァジラヤーナだ」と言われた。「(宗教法人の認証が取れないのは)我々にカルマ(業)があるからなのに(つまり我々のせいなのに)、なぜ打ち破るということになるのだろう?」と不思議に思いました。でも、次第に「グルの言われることだから」と、疑問を持たずに信じるようになった。また、教団内では基本的に自分のワークに集中しているから意識しませんでした。

 

・外の人は「凡夫」(修行をしていない一般人。信者以外の人)と思っていた?
→はい。「オウム以外の人は哀れ、救われない人々なのだろうな」という気持ちはありました。
・Oさんに手をかけた時(*)はどんなふうに思った?
→せめて、足から魂が抜けないように(*)と祈った。信じるとか信じないとかではなく、祈った。今から思えば、自分のために祈ったのだと思う。

*薬剤師殺害事件。元オウム信者の薬剤師(Oさん)が、教団総本部で治療を受けていた女性をその息子と親族たちとともに救出しようとして失敗し、麻原彰晃の指示で女性の息子らによって殺害された事件。

*オウムの教義では、体からエネルギーの各部分からエネルギーが出入りする。頭が一番上、足が一番下。足からエネルギーが出ると、修行が進んでいない状態。同様に、足から魂が出ると、来世は動物や地獄へ転生することになる。彼が言わんとしているのは、「オウムに対して悪業を働いたが、来世は悪いところに転生してほしくない」という意味。

 

・VX事件のHさんに対しては?
→本当にスパイなのか、と思った。でも、グルがスパイというのだから、自分の頭で考えてはいけない、と思った。
・Yは「井上が(VX入り)注射器を持ってきて、<これでピュッとやればいいんだ>とニコニコしていた。なぜなら自分でやらなくて良いから」と証言していましたね?
→ニコニコしていたつもりはないが、(自分で殺害行為をしなくて済んで)ホッとした気持ちはありました。
・Yは「嫌だった」と言っています。
→それはそう思います。
・そうすると、部下に対する心くばりはどこへ行ったのですか?
→考えていませんでした。麻原が「できなければ、誰々にやらせれば良い」と言っていた言葉にすがってしまいました。自分ではもうこれがギリギリ、限界なんだ、と。

 

●被害者遺族の反応について

・被害者の調書、読んだのはいつですか?
→8月。
・それ以外の被告達の調書については?
→なぜ、こんなことを言っているのだろう、というのはあった。記憶と違う、と。
・被害者の調書は何人くらい読んだ?
→わからないくらい。
・被害者は「もう証言したくない」「検察官とも会いたくない」と言っています。理解できる?
→理解できると言うことは思い上がりだと思いますが、「事件について思い出すのもいやだ」という気持ちはわかります。
・ご遺族のTさんは「何のために証言をしたのかわからない」と言っていましたね?
→わかります。ご遺族にしてみれば、死刑は当然というのは、人として当たり前だと思います。でも、敢えて言うと、被害者の方が判決をどこまで読んでいるのかわかりません。どこまで検察官も話をしたのか。ただ、私は被告人ですので。

 

地下鉄サリン事件について

地下鉄サリン事件の実行犯と運転手は誰が決めましたか?
→私にはわかりませんが、3月19日麻原が村井に指示を出しました。
・それぞれの指名は当然? それとも偶然? どう考えますか?
→当時はそういう考えはなかったです。今から思えば、それなりの理由がありました。村井が科学技術省なので正悟師になる人たちを、選んだと思います。林郁夫さんも正悟師になりました。運転手には、麻原に信頼されている人たちがなりました。
・科学技術省の人たちははじめてのヴァジラヤーナですか?
→(それぞれについて言及。殺害は初めてなどなど)
・彼らに比べてあなたは犯罪に数多く関与していますよね?
→実行という意味ではなく、現場に行ったという意味ならばそうです。

 

●生きているのは申し訳ないが、命を与えられてうれしいと思う

・「泣きたいときに泣けるのはいいよね」と証言したのは誰?
→ご遺族のNさんです。私は今、悩むことができます。でも、亡くなった人は、本を読めない、食べられない、考えられない。どうしようもない。どげんしょうもない、と。私が生きていることが申し訳ないです。
・死刑を求刑されたときはどう思った?
→当然、されるだろうと思いました。
・取調の時の検察官の言葉を「大丈夫だよ、死刑にしないよ」という意味で理解しましたか?
→はい。
・原審では死刑ではなく、無期懲役になりましたよね。
→命を与えられてうれしかったです。

 

 

【裁判官補充尋問】
・一審の頃、禅宗の本の前にチベット密教の本を読んだと言いましたね?
→はい。
チベット仏教から禅宗へと移ったのはなぜ?
→ある文献にチベット密教禅宗と結びついていると書いてあったからです。
・なぜやめたの?
→逃げている訳にはいかないと思いました。そういう事をしている場合ではない、と思いました。
・オウムについても考えましたか?
→考えました。グルについて、全く違うと思いました。救済についても、チベット密教は布教活動をしません。しかし、オウムは自分からしていた。
・瞑想はどんなことをしていた?
→仏像、座禅、瞑想。
・オウムとは違う形?
→はい。手の組み方とか、たまたま読んでいる本に書かれているものを取り入れました。オウムの時は、形が少しずつ変化していった。その変化の一部と同じ形だった。浅見先生に言われて気付きました。
・主尋問では、9.11とハルマゲドンが重なって怖いと言いましたね。ハルマゲドンに恐怖を覚えるというのはオウムから抜け切れていないということですか?
→それは違います。オウムの言うハルマゲドンは全面核戦争、そういうものではありません。(早口で、てぶりを交え、あわてた様子だった)
・では、恐ろしいとはどういうこと?
→はい。大きな事件を起こしてしまった。9.11にも影響を及ぼしたのではないか、ということです。被害者が叫ぶ姿とか。
・でも、なぜハルマゲドンと言ったの? オウムの教義の一つ、ハルマゲドンから抜け切れていないのでは?
→弁護人の質問は知らなかった。(*答えになっていないがメモにはこのまま)

―閉廷

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生きているうちにひとつの祖国を! 統一願い、川崎・桜本で在日コリアン高齢者がコンサート

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●戦争と差別を生き抜いた在日高齢者の願い

 在日コリアンが多く住む川崎市・桜本で、5月8日(火)、南北首脳会談の成功を祝い、朝鮮半島の統一を願うコンサートが開かれた。

歌と踊りを披露したのは、在日コリアン高齢者クラブ「トラヂの会」の皆さん50人余り。トラジの会は毎週火曜日に開催、60歳から最高齢94歳までのハルモニ(おばあさん)が桜本保育園に集い、歌や踊り、会食などをして過ごす。

 ハルモニたちは、戦前・戦中、当時日本の植民地だった朝鮮から渡ってきた一世と、日本で生まれた二世だ。一世は80~90代、二世は70代以下とみればいいだろう。このほか、80年代以後韓国や南米から来日したニューカマーの高齢者もいる。

差別と戦争の時代を生き抜いてきたハルモニたちは、2015年夏、桜本から「戦争反対!」を訴えようと、地元商店街でデモ行進を行った。今回のコンサートは、4月27日の板門店宣言を受けて、統一と平和への願いを発信しようと、急遽開催を決定したのだという。

 

 歌に入る前にウォーミングアップ。司会者の女性Aさんの「ハナ、トゥル、セッ!」という掛け声の後、みんなで「ハ、ハ、ハ」と大声で笑う。

 毎週Aさんはトラヂの会でハルモニたちと一緒に歌い、チャンゴも演奏する。歌もかなり上手だ。

では、統一への思いを込めた朝鮮の歌6曲を紹介しよう。イムジン河以外はすべて朝鮮語で歌われた。

 

○トラヂ、アリラン

 トラヂの会の愛唱歌。トラヂとは桔梗を表す言葉で、朝鮮では桔梗の根を食用にするのだという。桔梗の根を山の中に摘みにいったときの様子を描いている。そして、日本人にもなじみの深い「アリラン」。

ここで94歳のハルモニが前に出てきた。なんと、チャンゴを演奏するのだという。オモニは穏やかな笑みを浮かべて、チャンゴを叩く。すごいな、94歳か。70代後半ぐらいにしか見えないのに。チャンゴの音と歌声が響く。

歌い終わるとAさんが一言、「チャンゴが寿命を延ばします!」。

 

○他郷暮らし

 ふるさとを離れた場所で暮らす寂しさを歌った歌。

Aさんが語る。「私は若い頃、この曲を辛気臭くて嫌だと思っていました。でも、トラヂの会に来るようになって、この歌を聴くと自然と涙が出てくるようになりました。皆さんにとってどれだけ大切なものかわかってきました」

 歌詞を日本語に訳すとこんなふうになる。

 

   他郷暮らし 幾年か 指折り 数えてみると

   故郷を離れ 十余年 青春だけが 老いていく

   

   浮き草のような 身の上 ひとりで 息がつまり

   窓をあけて ながめると 空はむこうに

 

   故郷の家の柳の木 今年の春も青く繁っただろう

   草笛をおって ならしてみた それは もう 昔

 

歌いながら涙ぐむハルモニがいた。

「母がよくこの歌を口ずさんでいたの。それを思い出したら、涙が出てきちゃって……。それにしても、よくこんな歌をこしらえたな。お母さん、つらかったんだね……」

 

釜山港へ帰れ

 ご存知チョー・ヨンピルの代表曲。4月11日、南の歌手がピョンヤンでコンサートを開いたが、そのときに彼が歌ったのがこの歌だった。

日本で知られている歌詞は男女の恋愛を描いたものだが、原曲は南北に離散した家族やきょうだいを慕う内容なのだという。1番では「かえっておいで 釜山港に 恋しい 私のきょうだいよ」と会えないつらさを訴え、2番では「帰ってきたよ 釜山港に 恋しい 私のきょうだいよ」と再会を喜ぶ。日本語の歌にはないハッピーエンドに、ハルモニたちもうれしそうだ。それまでの曲はどちらかというとさびしそうな調べであったが、この曲になると力強い元気な声が響いた。

 

イムジン河

 こちらも日本で有名な曲で、北から見た分断の悲しさを描いている。トラヂの会のスタッフ、遠原輝さんがギターを弾きながら歌った。子どもの頃、お父さんがよく歌っていたのだという。

 

○らぐよ…(だってさ)

 韓国人歌手、カン・サネさんによる南北の統一を願う曲。統一を待ち望む父や母のことを、息子の目から描いている。カン・サネさんの親は、1950年に起こった朝鮮戦争(ユギオ)のとき、北から南へ逃げてきたのだそうだ。歌では、父や母が自分の十八番の歌を歌いながら、こんなふうにつぶやく。「死ぬ前に一度だけでもいいからいけたらいいのになあ」。

 カン・サネさんのことは、このとき初めて知った。後で調べてみたら日本でもけっこうファンが多いことがわかった。

 

○故郷の春

 これもトラヂの会の愛唱歌。ふるさとに咲く花々、鳥のさえずり、野原を思い出しながら、子どもの頃を懐かしむ内容である。

「私たち在日朝鮮人は複雑ですよね。北、南が故郷の人もいれば、日本で生まれて川崎が故郷という人もいる。でも、やはり故郷といえば朝鮮。今、故郷はまさに春を迎えようとしています。会いたい人に会える。それが春です」とAさん。

 この歌にはふりつけがある。みな椅子に座り、腕を伸ばしたり、上に上げたりしながら、本当に楽しそうだった。

 

  • 音信不通になった人と会いたい

 歌に加え、2人のハルモニが統一への思いをスピーチした。

 

 1人はFさん。北へお兄さんが渡り、何年も音信普通になっている。

「お母さんは兄のことを心配して、ご飯を食べるときは必ず兄の名前を呼んで、『白いご飯だよ、食べなさい』と言っていました。向こうでは白いご飯なんて食べられないだろうから」

 Fさんは朝鮮語を混じえながら、泣きながら訴えた。お母さんは伝を頼って息子さんの行方を捜し続けたが消息はわからず、失意のまま亡くなられたという。

 スピーチを終えると、Fさんはマイクを持ち、「お母さんの思い出」という歌を歌った。

 

 2人目はCさん。家族ぐるみで付き合っていて、川崎へ来たときに助けてもらった恩人が北へ渡ったまま、連絡が取れないのだという。

「その人は北朝鮮のほうが日本より生活が楽と聞いて、帰ることを決めました。夫が新潟まで見送りにいきましたが、それ以来連絡はありません。会いたいです。北朝鮮へ行きたいです。早く平和な日が来てほしいです」

 

 在日朝鮮人の多くは南(韓国)の出身であるが、日本での差別、貧困に耐えかねて、1959年から始まった帰国事業により北へ渡った人は多い。

 北へ渡った家族と何十年も音信普通になっている人たちがいる。そのことは、本やネットで得た知識で知っていたが、日本人である自分にとって身近ではなかったし、やはり別な国の出来事であったのだと思う。しかし、目の前で、さっきまで楽しそうに歌っていたハルモニが涙を浮かべて、大切な人と会えない辛さを訴えている。分断は本に書かれているだけの出来事ではない。分断は紛れも現実の世界で起こったことなのだ。

 

会いたい人に会う。それが叶わないのが分断。長く長く続いた分断。

 私は在日コリアンの友人と分断について話したことはない。でも、友人もその家族も、皆さん同じ悲しみを抱えて生きてきたのだろう。

 

○私たちの願い

 最後は一日も早い統一と平和を願った「私たちの願い」。トンイル(統一)、ピンファ(平和)という言葉が繰り返されるところが印象的だった。

 

 予定していたメニューは終わったが、まだ歌い足りないと思った1人のハルモニが前へ出てきて、マイクを握り歌いだした。歌に合わせて数人が立ちあがり、踊りだす。歌うハルモニの朗々とした声に聞きほれてしまう。踊るハルモ二たちも満面の笑みを浮かべている。泣いて悲しみを訴えても、最後は笑顔で、というのがコリアンスタイルなのかも。

私もつられて体が動いてしまう。楽しそうなのに、こんなに楽しそうなのに、なぜか涙で目の前が霞む。以前読んだハルモニの手記がよみがえる。

─ずっと苦労ばかりしてきた。「朝鮮人」とさげすまれ、貧しい中男性と同じように働きながら家族を支えてきた。まだ小さい子どもが日本人からいじめられているのを、黙って見ているしかなかった。生きるためには何でもやった─

 

 ギャラリーのハルモニたちは、歌に合わせて手拍子。朝鮮語で雑談をしている人たちもいる。奥の厨房では、食事の用意が進んでいる。テーブルの上にはキムチ。みんなで漬けたのだという。

 

  • 統一を願うことは平和を願うこと

 Aさんは語りかける。

「今まで苦労してきた皆さん、私は、体がきかなくなっても大事にされて、子どもたちが夢を見られるような社会にしたいと思っています。南北に徴兵制があります。でも、統一されて平和になれば軍隊へ行かなくて済みますよね」

最後に歌われた「私たちの願い」で、統一と平和という言葉が繰り返し出てきた。Aさんの語りではっきりわかった。統一を願うことは平和を願うことなのだと。

 ホワイトボードには大きな模造紙。朝鮮半島とハルモニたちのたくさんの寄せ書き、そして「生きているうちにひとつの祖国を」という大きな文字。

「皆さん高齢だし、本当に切羽詰っています。生きているうちに、統一を、平和の道を歩んでいけますように、みんなで寄せ書きしました」

 小さい頃日本に渡ってきて、戦争の影響や貧しさにより学校に通えず、読み書きができないまま大人にならざるを得なかった1世の寄せ書きもある。高齢になってから識字学級で文字を覚えたのだという。

 

「ちょうせんがへいわでありますように」

 

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 ハルモニたちの願いが一日も早く叶いますように。会いたい人に会えますように。今の日本政府に積極的な協力を求めるのは無理だとわかってはいるが、それでもできることをしてほしいと思う

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ウリハッキョへようこそ~朝鮮学校の授業参観に行ってきました!

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 5月13日(日)、東京・十条にある東京朝鮮中高級学校で授業参観が行われた。なんと、朝鮮学校と関係のない日本人でも参加OKとのこと。というわけで、さっそく十条へ。

 ここに在籍しているのは、日本でいえば中学1年生から高校3年生までの生徒たちだ。1クラスは20人~40人程度で、中学は1学年2クラス、高校は1学年5クラス。私立の中高一貫校と同じか、やや少ないくらいと考えればいいだろう。

 

 ●学内では朝鮮語、女子はチマチョゴリ姿

 

 女子は学校に到着すると、黒いチマチョゴリに着替える。女性の先生たちもチマチョゴリ姿だ。

 学内で使用する言葉は基本的に朝鮮語だ。授業や部活はもちろん、休み時間のおしゃべりも。

 

 廊下を歩いてすぐに目に飛び込んできたのは、手づくりの貼紙、ポップだった。4月27日の南北首脳会談成功を報じた新聞記事、そして文大統領と金委員長の写真だった。やはり、南北が和解へと歩みだしたことは、生徒たちもずっと待ち望んでいたことだったとわかる。

 運動会や学校行事、運動部(サッカー部、ラグビー部、バスケット部)が日本の学校と試合したときの写真もあった。東京朝鮮高校といえばサッカーの強豪校だが、ほかのスポーツも強い。部活動レベルでは日本の学校との交流が行われているのだ。

 5月3日開催の憲法集会で合唱部の女子たちが歌っている写真もあった。

 寄せ書きや写真のキャプションはハングル。廊下の中ほどに休憩スペースがあり、ここに「ウリハッキョへようこそ」と日本語で書かれた貼紙があった(ウリハッキョは「私たちの学校」という意味)。カラーの模造紙に引き伸ばした画像を貼り付け、手描きのイラストを添える。これほどたくさんのポップを見たのは初めてだ。

 

 授業が始まる前の教室内はまだ騒がしい。席につかないで友達のところでしゃべっている子、着席したもののあたふた用意をしている子…。廊下にいる私と目が会うと、緊張した面持ちながら会釈する子も。

 

 

 授業が始まった。朝鮮語がわからなくて大丈夫かなあ、と思いつつ、高校生の教室に入ってみる。

 

Good morning !

 

 先生が入ってきて挨拶。ピンクのチマチョゴリ姿のまだ若い女性の先生だ。やった! 英語だ。これならわかる!

 当然だが、解説は朝鮮語だ。先生と女子生徒のチョゴリ姿と朝鮮語が、ここが朝鮮学校であることを思わせる。

 先生はPCを使い、短い動画を見せた。50年前のミュージカル、メリー・ポピンズのワンシーンだ。主演のジュリー・アンドリュースが、やたら長文のおまじないを早口で唱えながら踊るシーンで、なぜかメロディだけは知っていた。

 

Super cali fragilistic exppiali docious ♬

 

 これをグループに分かれて発音を練習。私もやってみたが、なかなか舌が回らない。けっこう難しかった。

 

  • 日本語古文ではディスカッション。心理の変化を絵に描かせる

 

 次は高校生、日本語の古文だ。なんと平家物語である。こちらは若い男性の先生で、授業は日本語で行われた。

 場面は熊谷次郎直実が捕まえた公達の首を掻っ切ろうとしたが、思いとどまったシーン。

「熊谷次郎直実は首を切ろうとしたんだよね。公達の首を切れば、自分の名前をあげることができる。しかし、公達の顔をよく見ると、まだ若く、おはぐろをしている少年だった」

 と先生は現代の日本語に訳して、解説。ここまでは、日本の学校でもよくあるが、驚いたのはこれから。

 

「では、熊谷次郎直実がなぜ気持ちが変化したのか、グループで話し合って。それから、変化していく様子を3枚の絵にまとめてみて」

 

 え、ディスカッション? しかも、絵にするの!? 

 

 古文の授業では、教師が言葉の意味と訳、時代背景を解説して終わりだとばかり思っていた。だって、そういう授業しか知らない。古文でディスカッション、絵と、あまりの発想の違いに驚いていると、先生は前回生徒たちが描いた3枚の絵を見せた。それはアニメタッチで兜姿の武将と馬が描かれていた。

 

 後で、こちらにお子さんを通わせている友人に話をすると、ディスカッションはかなり当たり前なのだという。それでも、絵にまとめるのは、かなり珍しいのではないか?

 この方法がすごいなと思うのは、より深い理解につながるところだ。心理の変化を3段階に分け、しかもそのターニングポイントを絵にするとなると、試験のために覚えるような通り一遍の解釈ではとても足りない。そのためにディスカッションをする。話し合うことで、自分とは違う捉え方があることを発見する。また、勘違いして覚えていれば、話し合うことで修正される。みんなで共通した見解をつくりあげていくわけだ。さらに、視覚化すれば記憶に残る。中途半端な理解のまま暗記させるより、テストでははるかにいい点が取れそうだ。

 高校時代、こんなおもしろい授業を受けたら、古典は全部100点取れたかな。もっといい大学にも行けたよね、残念(>_<) と思いつつ、次の教室へ。

 

  • 日本語の授業では日本語OK

 

 高校生の英語では、朝鮮の開城(ケソン)についての歴史。別のクラスでは、アメリカの先住民族、チェロキー族について。なるほど、祖国や他国の少数民族についての内容なら、英語でやるにしても興味が涌いてくる。

 朝鮮現代史と思しき授業では、「朝鮮プロレタリアート」「平和」という言葉は聞き取ることができた。理科では「陽子」「原子」「中性子」など、漢字が書いてあったので、朝鮮語でしゃべっていても少し理解することができた。数式だけの数学も中学レベルの簡単なものならわかった。

 

 日本語現代文では芥川龍之介の「羅生門」。これも高校生のときにやったなあ。中学生の日本語では、古文の基礎、動詞の五段活用。上一段活用と上二段活用。ああ、こんなことやったなあと思いつつ。「ありおりはべりいまそかり」「こきくくるくれこよ」と暗記させられた古語の活用をウン十年ぶりに口に出してみる。

 ちなみに、日本語の授業ではすべて日本語という先生もいたが、朝鮮語が混じる人も。訪問する前は、学内ではすべて朝鮮語しか使われないと思っていたのだが、そうでもなかったのが驚きであった。

 

  • みんな顔見知り。小さい子どももやってくる

 

 授業参加に訪れたのは、保護者とその兄弟姉妹がほとんどだった。中学生ぐらいだと、小学生の弟や妹に手を振ったりする。オモニ(お母さん)が来ると急に笑顔になる生徒も。

 授業中、先生の目を盗んで隣の子としゃべったり、こづいたりというのは、日本の学校でも同じ。

 休み時間になると、中学生も高校生も男子はじゃれあって遊んでいる。プロレスの技をかけて遊んでいる男子たちの横をオモニらしき女性が通りがかり、大笑い。

 保護者たちもみんな顔見知りなのか、仲がよさそうだ。何人かが集まって、あちこちで日本語でおしゃべりしていた。

 学校の外では、小さい子どもたちがボール遊び。グラウンドの隅でゲームに熱中する男子。一緒に遊んでほしいのか、これから部活というお姉さんのそばから離れない女の子。

 日本の学校の授業参観で、小さい子どもたちがやってくることってあるのかな? 私には経験がない。

 そういえば、ドキュメンタリー映画「60万回のトライ」の朴思柔監督が、「朝鮮学校在日朝鮮人にとってコミュニティ。学外の大人も子どももやってくる」と言っていた。運動会は一大行事、生徒の家族や親戚みんなでやってくるのだという。たしかに、授業参観でさえ多くの子どもが来たのだから、運動会になったら本当にすごいだろう。

 

 

 この日は保護者の総会もあり、ゲストとして招かれた朝鮮学校支援者の長谷川和男さんが講演した。長谷川さんは元日本の学校の教師。全国の朝鮮学校と幼稚園を行脚し、授業を見学した経験から、朝鮮学校の魅力を「自主的で自立的な教育が行われているところ」と語った。

朝鮮学校の先生たちは日本の先生と違って自立しています。日本の文科省は先生たちの自主性を奪いました。しかし、朝鮮学校では先生たちが自分で考えて、授業をしています。残念ながら、朝鮮学校を支えている若い先生たちの給料はとても少ないので、心が痛みます。日本人でも朝鮮学校のすばらしさを知り、給食をつくったり、読み聞かせのボランティアをする人が出てきました。ともにがんばりましょう」

 

 教室の前面には金日成金正日親子の肖像画が掲げてあった。この肖像画については、いろいろ批判はあるだろう。でも、これだけ書いておこう。朝鮮は日本によって南北に分断された、といっても過言ではない。日本にかなりの部分責任がある。そして、日本に残った(残らざるを得なかった)朝鮮人たちの民族教育を支えてきたのは北だった。

 たくさんの教室で目にしたのは、青く塗られた朝鮮半島の地図。統一を達成した朝鮮。さわやかなパステルブルーは、辺野古で見た海を思わせた。

 

 新たな発見でわくわくするとともに、ほっこりとした3時間だった。また機会があれば、いろいろな行事を見学したいな。

 というわけで、先生方、生徒さん、保護者の皆さん、カムサハムニダm(__)m

 

仕事や会社で困っていることはありませんか? 弁護士らが外国人労働者向け電話相談会開催

 

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●日本人より立場の弱い外国人労働者

 4月15(日)、日本で働く外国人労働者に向けて、電話相談会が行われた。

 相談に当たったのは、外国人労働者弁護団と外国人技能実習生問題弁護士連絡会で活動する弁護士十数人。また、労働問題に詳しい外国籍の人たちもボランティアで通訳を担当した。対応言語は、日本語、中国語、英語、スペイン語ポルトガル語ベトナム語ミャンマー語。通話料は無料。

 外国人労働者は雇用の調整弁として使われることが多く、不安定な有期雇用、非正規雇用が多い。言葉の問題もあり、労働条件を十分理解できていなかったり、日本の労働法制について知識が不十分なケースが多く見られる。日本人職員よりも立場が弱く、労働者としての権利が十分守られていない。不正やトラブルに対して、訴え出たり、労働組合など支援にたどりついたりすることが難しく、泣き寝入りしがちである。そんな外国人労働者に支援者や労働組合の存在を知らせようと始めたのが、この無料電話相談だ。

 

●解雇や雇い止め、労基法違反の外国人差別の相談も

当日の相談件数は16件。

国籍別では中国が7件で最多であり、以下南米(ペルー、ボリビア)5件、ベトナム1件、ネパール1件、欧米2件であった。

 雇用形態では、正規雇用は少なく(6人)、ほとんどがアルバイト、派遣社員契約社員など有期の非正規雇用であった。

相談内容は、賃金や残業代にかかわる内容が5件で最多。次いで解雇や雇い止めが3件、労働災害が2件、その他(パワハラ、資格外就労など)5件であった。

 相談に当たった指宿昭一弁護士は、今回の相談の特徴について次のように述べた。

派遣社員が多かったせいか、数は少ないものの雇い止めなど有期雇用特有の問題があった。また、外国人であることを理由にしたパワハラ、日本人との待遇の違いなど、明らかに外国人差別の問題もあった。労働者の国籍を理由として、賃金や労働時間その他の労働条件について差別的取り扱いをすることは労働基準法3条に違反する。日本語の電話相談窓口もあるので、困ったことがあったら連絡してほしい」

 

【主な相談内容】

 

○中国

 同僚から「机を開けられる」「人種差別的な発言をされる」などのパワハラを受けている。人事部にパワハラを相談したら、よけいひどくなった。

労働組合を紹介

 

○中国 有期雇用

「パフォーマンスが低い」という理由で雇い止めになった。

労働組合を紹介

 

○中国

 賃金不払い

労働組合を紹介

 

○中国 50代 正社員

 日本の一部上場企業に勤務。中国に赴任することになったが、今年から社内規定が変更になり、自分の国に赴任するときは海外勤務手当が出なくなった。

→弁護士が対応

 

○中国 正社員

 海外派遣されたが、日本人には手当が出るのに中国人には出ない。

→弁護士が対応

 

○中国 IT系企業 正社員

 仕事をやめると賠償金請求されるといわれた。契約書にも、離職する際、賠償金を支払う旨の文言が入っていた。

 

○中国 正社員

 留学生として来日し、2年前に就職した。雇用契約では開発に従事するはずだったが、工場で単純労働をやらされている。給与も年収330万円のはずが200万円ぐらいしかもらえない。

 

○南米 滋賀県在住 アルバイト 63歳

 今の会社ではアルバイトには有給休暇が認められていない。もし、認められるなら、有給休暇の分をお金で払ってほしい。高齢だし、いずれ帰国する予定なので、少しでもお金を貯めたい。

→「できない」と回答

 

○ネパール レストラン勤務

 在留資格は「技術・人文知識・国際業務」なのに、レストランでコックをやらされている。雇用先もぐるになっている。資格外就労なので、入管にばれたら帰国させられる。日本で働き続けたいので、どうしたらいいか?

→レストランをやめるしかない。退職金が出るか確認するようにアドバイス

 

ボリビア 派遣社員 労働災害

 自動車部品工場で労働中に事故にあった。

 

○ジャマイカ 語学学校講師 契約社員 ハラスメント

 アパートに侵入された。

 

○ペルー 派遣社員

 3か月間の労働契約の更新を続けてきて、3年が過ぎた。日本で病気になり、病院で薬をもらったがよくならず、繰り返している。治療に専念したい。

→旧派遣法では3年の雇用期間を超えれば直接雇用に切り替えてもらえる。労働局に旧派遣法の労働契約申し込み義務を主張するようアドバイス

 

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 なお、今回の相談者は、中・長期の就労ビザや、定住者資格を持つ南米系日系人ばかりであり、技能実習生や留学生の相談はなかった。

また、言語では、通訳を必要としたのは南米系(スペイン語)5人、中国語3人、英語1人。意外にも日本語での対応は6件と最多で、外国語を上回った。なお、南米系5人のうち5人とも日本語ではなくスペイン語の通訳を必要とした。

 国籍によって就労先の違い、言語能力にも違いがある。

中国人はIT系をはじめとする企業のオフィスで日本人と一緒に働く。ペルー人やボリビア人はアルバイトや派遣社員として工場で働く。ネパールはレストランでコック、という感じか。中国人の正規職員やレストランで働くネパール人は日本語でコミュニケーションがとれるが、工場で働く南米系の人は得意でない。

外国人支援に当たる人から聞いたり、本からの知識で知ってはいたが、このデータからでもよくわかった。

 

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外国人労働者弁護団では、日常的に電話相談に応じている。

 

電話 03(6427)5902

平日 10時~17時まで

対応言語 日本語のみf:id:mimikuro:20180428115000j:plain

詳細はhttps://grb2012.wordpress.com/

 

 

技能実習生がセクハラ被害諸々を訴える③ @水戸地裁

 

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■虚偽だらけの監査報告書と強制帰国~元職員は訴える

  中国人女性技能実習生Aさんが未払い賃金と実習中に受けたセクハラ被害等に対して損害賠償を求めた裁判が、2月23日(金)水戸地裁であった。

 今回は被告である雇用主農家のB親子、受け入れ団体である協同組合つばさの実質代表者D、そしてもう1人の原告Cさんの尋問が行われた。

 

 Cさんは中国人男性(44歳)。事件当時協同組合つばさ(以下つばさ)に勤務し、技能実習生にかかわる仕事をしていた。しかし、実習生が違法な扱いを受けていることを知り、彼女たちを助けようとしていたところ解雇されてしまった。裁判では、解雇は無効であると主張して労働契約上の地位の確認、未払い賃金と遅延損害金の支払いを求めている。

 長く日本にいるだけあって、流暢な日本語を話すCさん。今回の尋問は通訳なしで行われた。

 今回はCさんと関係者の証言と陳述書から、元職員の目からみた監理団体の実態を描いてみようと思う。

 

事件の概要(原告・セクハラ被害者Aさんの証言)

http://mimikuro.hatenablog.com/entry/2018/02/04/172039

 

被告Bの証言

http://mimikuro.hatenablog.com/entry/2018/02/27/095550

 

茨城県下最大の監理団体

 Cさんはもともと技能実習生監理団体である協同組合若葉で働いていたが、2013年9月つばさに異動。若葉、つばさともDが実質的オーナーを務めている。いずれも茨城県を中心とした農家で技能実習生を受け入れる際の監理団体であった。当時つばさは実習生400人、組合員150社を抱える茨城県下最大の監理団体であった。

 Cさんはつばさで、入国管理局に提出する書類の作成や農家で働く技能実習生の管理などを行っていた。技能実習生の管理には、雇用先の農家を巡回して実習生の働きぶりを確認したり、実習生や農家からの相談に対応することも含まれる。

 監理団体は技能実習生という人材を農家に派遣する人材派遣会社。Cさんはその営業兼事務職と考えれば、非常にわかりやすいだろう。

 つばさでの待遇は年棒400万円。勤務時間は午前9時から午後6時までであったが、毎日のように残業があり、土曜日も隔週で仕事をした。しかし、出勤・退勤を含めた労働時間の管理は一切なされず、残業代も出なかった。

 

●巡回指導でセクハラを目撃

 今回セクハラで訴えられているB宅はCさんの担当であった。ある日、CさんがB宅へ巡回指導に出向き、Aさんと話をしていると、Bが出てきた。Cさんが挨拶がてらBに「うちの実習生、がんばっていますか?」と尋ねると、Bは「がんばってますよ」と答えた。そして、Aさんのほうに駆け寄り、「チューチューチュー」といってキスしようとした。

 Cさんはこのときの様子を次のように証言している。

「あまりにも衝撃的でした。でも、B宅はつばさにとって大事なお客さんなので、その場で注意できませんでした」

 Bが去るとAさんは「うちのボスはこういう人なのよ」とCさんに一言。Cさんは、ここでセクハラが行われていることを確信した。

 その後CさんはAさんからセクハラと夜間の大葉を巻く作業について相談を受けるようになった。大葉巻きについては、作業時間を記録するように指示したが、セクハラについては我慢するように伝えた。つばさのほうで問題を訴えるAさんを厄介と感じれば、強制帰国させてしまうかもしれないと考えたからであった。それでも度重なる訴えに、Cさんはきちんと解決しなければならないと考えるようになった。

 

●強制帰国の危険性を伝える

 Cさんは、実質の代表であるDを含め、つばさの職員全員にセクハラの事実を報告し、何とか問題を解決するように要求した。しかし、つばさでは何の対応もしなかった。それどころか、CさんをB宅の担当からはずしてしまった。それでも、Aさんはじめ実習生たちは、後任の担当者にもセクハラや賃金未払いの問題を訴え続けた。

 ある日、DとCさん、Aさんは話し合いをすることになった。つばさの対応に憤りを感じながらも、まだ職員としての意識が強かったCさんは、何とか穏便に済ませようと、これまで何度もAさんと話し合ってきて、この話し合いにも同席したのであった。

 Dは代表者として、Aさんにセクハラの慰謝料と未払い賃金として30万円程度支払うことを申し出た。しかし、Aさんはこれを拒否した。作業時間から計算すると30万円では安すぎたからであった。

 Cさんは話し合いが決裂したのを見て、強い危機感を抱いた。Aさんが条件を飲まなければ、邪魔者扱いして、帰国させられてしまうからであった。案の定、話し合いが終わり解散した後、DはCさんにAさんを事務所へ連れてくるよう命じた。そうはさせるまいと、CさんはAさんの説得を続けながら、強制帰国の危険性を伝えた。

「今後、つばさの職員がやってきて事務所へ行こうと言われるかもしれないけど、絶対について行かないように」

 

●作業着のまま帰国させられた実習生

 Cさんは、実習期間を中断され、無理やり帰国させられてしまう実習生の姿を見てきた。

 1人はレンコン農家で働いていた実習生であった。指を機械に挟まれて切断、4本の指を失ってしまった。

 それでも、この実習生はまだ働こうとする意志はあったため農家と交渉しようとしたが、Dはその機会を与えず実習生を事務所へつれてきて、帰国するよう促した。

 実習生は事務所から中国の実家に電話し、大泣きで指をなくしたことを母親に報告した。しかし、隣のテーブルに座ったDと他の職員は、自分の思い通りに事件を解決できたと満足そうな態度をとっていた。それを見て、Cさんは深く心を痛めたという(以上、Cさんの陳述書から)。

 作業内容や賃金の計算方法にクレームをつけた実習生も、強制帰国させられた。

「他にも、就業中、作業着のまま車に乗せられて連れて行かれた実習生がいました。私が成田空港までパスポートを届けにいきました」

 

●つばさの職員が押しかけて脅迫

 Cさんの予感は的中した。話し合いの2日後、つばさの別の職員たちがB宅へやってきて、実習生たちを事務所へ連れ出そうとした。しかし、Cさんから注意を受けていた実習生たちは同行を強く拒み、部屋に立てこもった。

 つばさの職員たちは、夜11時ごろまで部屋の外で大声を上げ、ドアを叩いた。職員の1人は「お前らを中国へ返すことは、たやすいことなんだよ!」と何度も怒鳴った。

 B宅での騒動は、すぐに近所の農家で働く実習生たちの知るところとなった。彼女たちはCさんに電話をかけ、B宅での不穏な動きを伝えた。それを聞いたCさんは交番へ行き、警官へ相談。その場で、再び電話をかけた。

「携帯電話をスピーカーモードにして、通話音が聞こえる状態で会話をすると、泣きながら助けを求める声が聞こえてきました。それを聞いた警官から、110番にかけ直して通報したほうがいいとアドバイスされたので、その通りにしました」

 一方、B宅では、Dたちつばさの職員は警察が到着する前に引き上げていった。

 しかし、警察沙汰になれば、つばさの信用にかかわる。今回の行為はCさん解雇理由の1つとなった。

 なお、被告側は実習生を連れ出そうとしたのは、事務所で詳しい話を聞くためであり、Cさんは警察に虚偽の通報をしたと主張している。

 

●セクハラ被害を記録

 Cさんは、実習生がバラバラにされてしまう前に、Bのセクハラの事実を訴えようと考えた。そこで、実習生を集めて被害を聞き取った。そして、文書化して全員に回覧してもらい、証拠としてサインしてもらった。被害内容は、日時がはっきり特定できるもの、他の実習生も目撃しているものに限定した。さらに、実習生たちが文書を回覧、サインしている様子も動画で撮影した。文書と動画は今回の裁判でも、証拠として提出されている。

 なお、この頃、技能実習生問題に取り組む岐阜一般労組と連絡を取り、アドバイスを仰ぐようになった。

 

●虚偽だらけの監査報告書

 このような行動にCさんを駆り立てたのは、もうこれ以上不正行為に加担することに耐えられない、という気持ちであった。

 技能実習生の監理団体では、技能実習生の就労状況などに関する監査報告書を毎月入国管理局に提出する必要がある。Cさんはこの監査報告書を作成していた。しかもDに命じられて、技能実習生たちの実際の就労実態ではなく、入管から問題を指摘されないように、勤務実績、賃金台帳、給与明細、賃金受取書、実習日記、監査記録等、すべて虚偽の記載をして提出していたのであった。

 それは、「農家による不正を容易にし、農家が労働力を安く利用しやすくなるような運用」であったという。

 

●職員に取り囲まれ、警察へ通報

 事件当時作成中の監査報告書も虚偽だらけであった。

「B宅についても問題が起こっていたのに、『計画どおりの実習』と嘘を書きました。自分が担当する前も同じように嘘が書かれていました」

 これを提出させないようにしなければならない。そこで、事務所で監査報告書を印刷し、かばんに隠した。監査報告書は作成でも印刷でも、Cさんでなければできない仕様に設定していたため、とりあえず印刷して保管してしまえば、勝手に提出されるおそれはなかった。

 しかし、いったん外出してから再び事務所へ戻り、帰宅しようとしたとき、職員たちに取り囲まれてしまった。職員たちは進路をふさぎ、Cさんの服を引っ張ったりしながら、実習生の味方になったCさんをなじった。身の危険を感じたCさんは、警察に通報、警官に守られながら帰宅することとなった。

 なお、被告側はこのとき、Cさんが「必ず組合をつぶす」と恫喝的な発言をして、無断外出したと主張している。

 

 被告側は解雇理由を、①警察へ事実と異なる通報を行ったこと、②監査報告書作成ソフトを消去し、報告書を無断で持ち出したこと。③遅刻と無断外出を繰り返したこと。と主張している。もちろん、「必ず組合をつぶす」という発言と無断外出も含まれている。

 これに対してCさんは、①についてはこれまで書いたとおり、虚偽の通報ではない。②については、ソフトの消去など行っていない。③については、遅刻や無断欠勤はもちろん、「必ず組合をつぶす」といった発言もしていないと、すべて否定している。

 

●「いい質問ですね、私もそれを言いたかったですよ」

 被告側はCさんの主張をことごとく否定し、陳述書では事件とはまったく関係ないCさんへの家族関係や、人格を貶めようとする記載も見られた。

 反対尋問では、被告側代理人弁護士の1人はわかりにくい質問を繰り返した。ひっかけなのか、主語や目的語を省略したり、何を言いたいのかあいまいな尋ね方をする。傍聴席で聞いていて、これは日本語が母語でなければ難しいだろうと感じた。しかも、Cさんが確認しようと問い直すと、「あなたがねえ、素直に答えればいいんですよ!!」などと声を荒げる。

 見かねた原告側代理人の指宿弁護士が、「いくら日本語ができるといってもネイティブではないのですから、もう少し質問の仕方を考えてください」と注意すると、ふてくされたように「ハイハイ、こちらもやっているつもりなんですけどね」だって。真正面を見ると、裁判官も苦笑していたのがわかった。

 極めつけは、Cさんがつばさの職員たちから取り囲まれ、警察に通報した際、「左手で携帯電話を持ってかけた」と証言したとき。弁護士は即座に「そんなことないでしょ!! 実力行使、受けてるんだから!!」と声高に否定。さすがにこのときは裁判長から「まあまあ、そのように主張しているんですから」と、やんわりと注意を受けた。

 しかし、Cさんだって負けていなかった。弁護士の威圧的な態度にも負けず、質問の意味を理解すると「いい質問ですね、私もそれを言いたかったんですよ」と前置きして、根拠を添えてすらすらと答える。

 すごい! 私も裁判をいくつか傍聴してきたが、こんな前置きを聞いたのは初めてであった。これをCさんは2回発言した。精神的余裕がなければ、こんなことは言えない。(だからこそ、被告側代理人弁護士は気に触ったのかもしれないが…)

グッジョブ(^_^)v Cさん!!

 

相手が北朝鮮、朝鮮総連なら何をやってもいい!?  醸成されるヘイトの空気

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 朝鮮総連への襲撃事件を受けて緊急報告

ヘイトスピーチ解消法ができても効果は限定的」とする調査結果が、20日(火)専門家により示された。 

 報告したのは、ヘイトスピーチに詳しい社会学者・関東学院大学非常勤講師の明戸隆浩氏。人種差別撤廃に向けて日本の取り組む課題について、民族問題や差別問題に取り組む専門家、市民団体、研究者などが集まった会合で、朝鮮総連への襲撃事件を受け、緊急報告がなされた(於衆議院議員会館。主催は人種差別撤廃NGOネットワーク)。

 

●解消法により、ヘイトデモは減ったが街宣は微減

 まず、2016年解消法が施行された後で、悪質なヘイトデモや街宣がどのくらい減少したのか。

 デモは、法施行前の1年間は76件であったが、施行後1年間は43件と、かなり減少した。しかし、小規模な街頭宣伝は、施行前の1年間は283件だったのに対して、施工後1年間は247件とわずかな減少にとどまり、2017年の街宣は280件と施行前とほぼ同じになっている。*

 都市部での大掛かりなデモは減ったものの、小規模の街宣活動は相変わらず行われており、レイシストたちは「地道な」活動にシフトした模様だ。

 明戸氏は「法律が施行されてから、デモが減ったので、ヘイトスピーチは一時的に見えなくなった。しかし、街頭宣伝ではかなりひどい表現が繰り返されている。法律はできたが、ヘイトスピーチが解消されたとはいえない状況」と憂う。

 

レイシズム監視情報保管庫のデータから。施行までの1年間は2015年6月3日~2016年6月2日、施工後1年間は2016年6月3日~2017年6月2日。

http://odd-hatch.hatenablog.com/

 

●コメントの8割がテロを支持。相手が北朝鮮なら「何をしてもいい」

 インターネット上の差別文言やヘイトデマも深刻だ。明戸氏は2月23日に起こった朝鮮総連襲撃事件について、インターネットにおける反応を調査。ヤフーニュースで流された第一報のうち、最もコメント数の多かった記事*を使用し、寄せられたコメントを分析した。

 結果は、驚くべきことに8割が襲撃事件を肯定・賞賛する内容であったという。

 コメントの内容は4つに分類される。

 1つは、朝鮮総連が事件を起こし、被害者を装っているという自作自演説。容疑者の名前が報道される前、多く見られた。

 2つ目は、自業自得、あるいは「朝鮮総連があるから事件が起こった」というように、事件の責任を朝鮮総連に転嫁するもの。

 3つ目は、「よくやった!」「ヒーロー現れた」「これだけ覚悟を持って行動を起こした男気を見習い~」という容疑者をストレートに賞賛。数はそれほど多くない。

 4つ目は、「どうせならミサイルドーン」「これで済んでよかったじゃん」「中途半端だなー」など被害を矮小化。こちらも数は多くない。

 

 ちなみに、この事件の前の2月11日、国際政治学者の三浦瑠麗東京大学講師が、フジテレビ・ワイドナショーにおいて、「大阪に北朝鮮スリーパーセルが潜伏している可能性がある」と発言。また、襲撃事件当日も、自民党山田賢司衆議院議員が、なんと、朝鮮籍者に対する就労制限を検討すべきという趣旨の質問を衆議院予算委員会で行った。

 

「三浦氏や山田議員の発言が事件やニュースのコメントに影響を与えたかどうかは実証的に示す証拠はないが、相手が北朝鮮朝鮮総連となると、ヘイトスピーチのハードルが下がる。何をやってもいい、何を言ってもいいという雰囲気を醸し出していることは否定できない」(明戸氏)

 

*ニュースは、テレビ朝日朝鮮総連中央本部に銃弾 右翼団体の男2人逮捕」。2018年3月19日時点で削除済み

 

ヘイトスピーチには刑事罰を付加した法律を!

「現行のヘイトスピーチ解消法の効果が限定的なのは、刑事罰がないから。新たな法整備が必要」と、明戸氏の次に報告した原田學植弁護士(在日韓国人法曹フォーラム)は断言した。

 また、ゲストとして訪れた尾辻かな子議員は、大阪で行われたヘイトデモにカウンターとして出向いたときの経験から、現行の法律がいかに効果がないか実感したという。

「警察はデモを行うヘイターを守っている。そこで、警察になぜあんな人たちを守るのか聞いてみると、『法律には刑事罰がないので、私たちには取り締まることができない』と言われた。大阪にはヘイトスピーチを規制する条例もあるが、やはり刑事罰がないために役立っていない。だから、警察に守られながらヘイト街宣ができる。実効性ある法律を検討すべき」(尾辻議員)

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 集会の最後、今年2月に起こった朝鮮総連への襲撃事件に強く抗議するとともに、日本政府に対して事件に対する厳正な対応と、今回のようなヘイトクライム再発防止および人種差別撤廃に向けた法整備を求めたアピールを採択した。

 

 なお、当日は、ヘイトスピーチのほかにも、移住者の権利(技能実習生問題、移住女性へのDV、難民認定、入管収容所での処遇など)、在日コリアン年金問題朝鮮学校の排除と教育の権利、ネットと部落差別問題、アイヌ先住民の権利などについて報告がなされた。いずれも興味深く、新たに知った問題もあった。これらについては、いずれ改めて紹介しようと思う。

 

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 それにしても……たった1本のニュースの分析とはいえ、8割がテロを支持するという結果はショックだった。「相手が北朝鮮なら何をしてもいい」という空気が蔓延していて、何かがあれば暴発する。その暴発が、今回の朝鮮総連襲撃事件だ。

 それ以前にも事件は起こっていた。拉致問題が大きく報じられた頃には、朝鮮学校へ通う女子生徒のチマチョゴリが切り裂かれたし、京都では朝鮮学校(小学校)が在特会によって襲撃されている。

 私の知り合いの在日コリアンの一家は、危険を避けるために日本名の表札を掲げるようになったという。それまで通名を使わずに本名を名乗ってきたが、こんな状態では安心して暮らせないからだという。

「考えすぎ」と思う日本人はいるかもしれない。でも、そんなことはないと断言する。ここには貼らないが、外国人が多く住む団地にレイシストが訪れ、汚い言葉で紹介しているサイトを見たとき、こんなところにまでやってきているのか、怖くなったことを思い出す。

 今の空気は、日本人の私にとっても怖い。